電話は解約しちゃいました

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偽大学八年生を卒業する僕からあの日の君へ送る言葉

在籍可能限度年数を終える

写真部

大学には在籍可能年数というものがある。

本日を持って僕の八年間の大学生活を本日終了しなければならない。

僕の大学八年間と明日からの自分の在り方について書き記す。

もともと「げんしけん」という漫画を見て大学生って楽しそうだなと思い大学進学を考え始めた。

それから「ハチクロ」の森田さんに憧れて大学に八年間居座ってやると決めての入学だった。

僕の大学生活(前半)

部室

毎日朝2時半に起きて新聞配達をして、9時に帰宅してシャワーを浴びて大学に行き、写真部の部室で先輩や友人たちと下らない話をして、16時からまた仕事に戻り、20時帰宅して彼女と過ごして、日記を書いて、2時間寝てまた同じ毎日の繰り返し。

平均睡眠時間2時間、週六日勤務。300日連続勤務なんてこともあった。

学費も家賃も生活費も自分で払っての生活で投げ出すことは出来なかった。

忙しすぎて気を失うことも日常茶飯事。

周りの人達は、「君はもう大学生ではないね」とよく言っていたが、僕は正真正銘大学生だったと思う。

写真部では一度も写真を撮らなかったけど、授業をサボって毎日部室に顔を出していたし、部長にもなった。

屋上部なんて非公式の部活を名乗り、立ち入り禁止の屋上を独占しては将来を思い描いていた。

思い出すと切なくなる恥ずかしい恋愛も沢山した。

ほとんどの授業はサボっていたけど、経営学と社会学だけは必死に勉強した。

何でもかんでもmixiに書いていたし、リアル以上の繋がりを感じることが出来た。

好きなバンドを文化祭に呼ぶために文化祭実行委員会にも入った。

休みの日はライブハウスに集まってロックンロールを信じていた。

寝付けない夜は、近所の映画館でレイトショーを見ていた。

気まぐれで図書館に向かい人生の答えを捜し求めていた。

これはどう考えても僕は大学生じゃないか。

どんな生活をしていても、これだけやれば大学生じゃないか。

僕は前半の四年間、間違いなく大学生だった。

僕の大学生活(後半)

hi-lite

そして、四年の月日が経ち同級生たちが卒業した。

僕は予定通り、一単位を残して留年。

仕事からも解放された。

大学生活後半の四年間はこれまで時間の都合で出来なかったことをやってみようと思っていた。

最初のうちは楽しかった。

高校生のころ以来にアルバイトをしたり、単位を取る必要は無いが興味のある授業に出たり、彼女と旅行をしたり。

しかし、すぐに気付いてしまった。

先輩も、友人たちも卒業してしまい、単位に追われて眠い目を擦って授業に出る必要も無い。

これはもう僕の知っている大学ではないと感じた。

四年間、休みの日でも出入りしていた部室も僕の大好きな場所ではなくなっていた。

いつの間にか大学に向かう足は遠のいていった。

時間を持て余した僕は自分でビジネスを始めた。

とても、刺激的で得るものも多く、自信も付いた。

これからの自分に取って必要なものを真剣に考えるようになり、大学に対する執着が失われていった。

そして僕はあっさりと大学五年生で卒業をすること決意した。

同時に、大学生の肩書きは失っても自称大学生として、大学八年生を卒業するまでは、自分が勉強したい世界に足を踏み込んでいこうとも決意した。

その後は東京・トロント・メルボルン・ライター・WEB製作・マーケティング・会社経営・シェアハウス設立・料理など色々な土地で様々な仕事を通して、自分の将来に必要不可欠なものを揃えていった。

もちろん「大学は卒業していますが大学生のつもりで生きています」なんて言ったら殴られてしまう世の中なので、口には出さないが、自称大学生=挑戦者のつもりで真っ直ぐに前を見て進んできたつもりです。

大学八年生を卒業するけど明日からどうしよう

屋上

そんな僕もついに大学八年生を卒業しなければいけません。

居座り続けたくても除籍処分されてしまう世知が無い世の中。

・・・が、ここにきて政府が大学在籍限度の上限延長を提言するという報道を知った。

うーん、どうしよう。

今日で大学生は卒業して明日から「社会人編スタート」だぜ、なんて言ってみてもとっくに社会人なわけで、むしろ大学在学中から社会人だったと考えると、全く持ってしっくりこない。

しかも現在はメルボルンで生活しているので、八年間という期間を設定したころのイメージと全く違う。

まぁ、自分の心の持ちようというか、自己認識の問題なのだと思う。

つまり自分を大学生と定義付けしてきたからこそ伸び伸びと行動できた部分もあったし、大学は八年間までしかいれないという期限を決めていたから必死になれた部分があったはずなのにそれを越えてしまうわけだ。

そもそも僕にとって「大学生」とはなんだったのだろうか。

最初はモラトリアムの象徴として考えていたが、実際の生活は険しいものだった。

「もう大人だから」という言い訳をして自分の気持ちから目を逸らしたり、社会に対して妥協したり、諦めないための「まだ大学生」という言葉であり逃げ道だったのだと思う。

それは僕にとって「中二病」という言葉を使うときにも同じ意味を持っていて「中二病だから」と自分を設定しておけば、自分の衝動・想いに素直に行動できる理由になる。

つまり、「もう大人だから」というなんの理論性も無い言葉を理由にして目を逸らしたり、妥協したり、諦めることをせず、挑戦するときに自分を支えてくれていた「大学生」というステータス・設定を失う事になる。

しかし、その自分を支えてくれていた「大学生」という設定に頼ることなく、これまで通り社会に飲み込まれること無く今のスタイルを続けることの出来る人間になるために、「大学生」という言葉から卒業をする時期なのかもしれない。

僕が大学生だったころ、「社会に出たら楽しむことが出来なくなるから大学生のうちに楽しんでおきな」という言葉を多くの大人たちから頂いた。

でも僕は思う、社会に出てからも思い切り楽しんでいく力を付ける為の大学生活だったなと。

大学に八年間居座ってやると意気込んでいたころの僕には分からなかったけど、今なら分かることがある。

大学生だろうが、社会人だろうが力と意思があればなんだって出来る。

本当は大学生にこだわることなんて無かったし、社会に対して構える必要も無かった。

大学八年生は終わってしまうけど、今日だって僕は中二病全開で楽しめている。

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KKK

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代表中二病社会学会
WEB関係の仕事と並行し、若者の人間行動学に関する仕事をしています。 他、新宿にてイベントBARを三店舗運営。中野にてシェアハウスを運営。

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