中学生が中二病になれなくなった時代

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受け入れることで心を落ち着かせる

2018年は受け入れることで心を落ち着かせられた

2018年は受け入れることで心を落ち着かせられた

2018年も終わり2019年を迎えました。去年は、色々なことを自然と受け入れられるようになった一年間だったと思います。

今回は2018年を振り返りながら、受け入れることの大切さどうして受け入れられるようになったのかを見つめ直しながら2019年の飛躍について書いてみようかと思います。

静かな気持ちで矢印を自分に向ける

それこそ2017年は離婚したり、会社を辞めたいと思っていたりとか、受け入れがたい現実の中で一つ一つ距離を取るようなことを意識していた。目の前にある現実に対して矢印は常に自分に向けながらも、受け入れ切れないことが多かったというか、受け入れることや問題を解決することを意識し過ぎて迷走していたように感じる。

2018年もそれは変わらなかったけど徐々に、ただ「そういうもの」として一つ一つを静観できたかなあと思う。

仕事も恋愛も他人に対しても、そして自分自身に対しても「へー、そうなんだ」というスタンスでいたら全てが受け入れられたように感じる。

見方を変えれば、単純に他人と線を引くというか、物事に無関心になったともいえるのかもしれないけど、僕の感覚としては周りのすべてを僕なりの優しさで見守りながら、自分に向ける矢印が真っ直ぐなものになってきたのかなって。

「誰かのせいにするな」とか「全部身から出た錆だ」とか「自業自得だろう」とか、それこそ2018年は自己責任論なんて言葉を耳にする機会が多かったけれども、そういう外部からのネガティブなニュアンスではなく「自分の人生の現実だ」と淡々と受け入れて静かな気持ちで前に進めたと思う。

仕事:ストレスと働き方

仕事なんかは特にそうで、2016年には初めて正社員で働いた会社は入社時から倒産するくらいバタバタしていて、何とか目の前の現実を乗り越えていたような感じだったし、2017年は事業譲渡で転籍した企業で部署同士の対立や社長からの無理な要望を淡々と向き合い、時にはいなしてきたつもりだったけど、思い返せばまだまだ自分以外のところに矢印を向けていたなあと思う。

2018年は独立して、関わる人全てが(仲間ではあるけど)契約的にはお客さんだったり他社の人だったりである意味で線を引いて働けたのは精神面の成長にはプラスだったと思う。

「はぁ、何言ってんだよ…」と思う状況はたまにあるけど、「まあお客さんだし」とか「まあ他社の方だし」で済ませられるというか、この人の得意なところもあれば苦手なところもあるんだし、立っているステージや能力によって見えるものも受け止め方も違うよなあと。

それぞれのいいところを学びながら仕事をしていこうと自然と思えている自分にふと気づくことが多かったので、ストレスや怒りの感情を持つことはなかった。

線を引いて働くといっても、プライベートでは一緒にライブに行ったり、飲みに行ったり、周りが困っいるときや辛いときは相談してもらえたりと、これまでの会社で認められてきた僕の良さみたいなものも少しは残っているみたいだし、自分の中ではよく分かっていなかった自分の価値みたいなものに気づかされることも多かった。

マネジメント(立場が変わって気付けた自信)

僕は今、立場的な面で言えばマネジメントを行う側からマネジメントされる側にいる。(変な言い方だとは思うけど)

今の環境でマネジメントする側の方々を見ていて感じるのは「周りを見てどうしたら最大限の効果を発揮できる組織にできるか」みたいなところへの意識が薄いんだなと、驚くことが多い。

それを否定しているのではないし、僕個人としてはそこは問題ない。

これまでは、マネジメントにより組織の力を活かすことで組織を強くし成果を上げることにフォーカスを当ててきたが、同時に自分は現場のスキルを積む機会が足りていないと感じていたので、淡々と自分の求めるスキルや経験を積みたいと思って今の現場にいる。

なので、自分の所属する組織がしっかりと整備されていないことで、自分の望む経験が積めなくなるわけでないなら不満にもストレスにならない。

これまで周りからは、マネジメント力が君の強みだと言われてきたが、今は自分自身でもマネジメント力が自分の強みだったんだなと感じることが出来て、新しい自信にもなった。

大した経歴もスキルもないのに周りの人よりお給料をもらっていて、それは自分の力で掴み取ってきたものだから恥じることなんてないんだけど、それでも、スキルや知識、経験の乏しさを不安に感じていたけど、それを埋めようと環境を変えたことで自分への価値を納得できたというか…「あ、自分はいいリーダーだったんだ」と安心していたりもするから面白い。

今の仕事内容(掴み取ったものに固執せずに潔くより前へ)

独立したといっても企業と契約して、SESのウェブディレクターとして働いている。

仕事内容としては、社員の人が企画した施策をひたすら要件定義書に落とし込むというもの。

要件所への落とし込みは少しづつだが成長していると感じれるけど、モックの確認やテストなんかは漏ればかりで全然ダメというか、本当に向いていないなあと思うことばかり。

そういうところは姿勢というか人間性の部分が大きく影響しているように感じるので改善していくことは人生全てに良い影響を与えるだろうなあと思う。

まあ、これらは今まで自分が外注や部下にやらせていたことを今度は自分がやっているということになるわけだけど、本当に勉強になる。

僕の場合は下積みというか、現場経験が少ないままにマネジメント側でのキャリアをスタートしてしまっていることもあり、現場の進め方に関して部下に任せていることが多かったから、そこの部分を埋めたいなと思いこういう働き方を選択して、本当によかった。

ストレスや怒りを感じずに働けていると書いたけど、自分の力不足には不甲斐なさを感じたり反省することは毎日のようにある。

でも、スキルや知識、経験の乏しさを心のどこかで不安を感じていた頃よりも、自分に足りていないと思うものを埋めるために四苦八苦しているときの方が気持ちがいい。

そして、自分が出来ていない状況だからこそ、自然と周りの人たちに対してリスペクトの念を持ちながら働けるし、人間関係でのストレスを感じずに働けている。

他の人に矢印を向けてストレスを感じても他人を変えるのは自分だけの努力で解決するとは限らないけど、仕事内容を改善していくことは日々の意識で解決していける。

出来ないことをするというのは自分の成長に喜びを感じることのできる素晴らしいことだけど、それだけでなく周りをリスペクトすることも容易になるんだなあと。

役職やポジションに胡坐をかいて楽な生活をしながら心の中で不安を感じるくらいなら、恥を覚悟で潔く成長を意識して日々を過ごしたい。

そういう姿勢を30歳を迎える年でも行動に移せたということは、キャリアだけでなく今後の人生にも大きな誇りとして僕を支えてくれるのだろうと思う。

人間関係:世界にはメンヘラしかいない

誰かと一緒にいたってストレスだけ溜まってくだけど1人じゃずっといられない…

って欅坂さんが言っていた。そうだよねえ、と思う。

多分、大小はあれど誰もが生きている中で不安や怖れを感じながら日々を過ごしている。

だから、メンヘラも許してあげよう。そういう一年だったように感じます。

2017年末からペアーズで米津好きな女のことばかり会っていたせいで、メンヘラの女の子と過ごす時間はとても多かった。(マジで去年は米津玄師ばかり歌わされた一年だったなあ)

まあ、これまでもメンヘラに愛され続けて生きてきてしまったので今更ですが…

今までは「いやいや、メンヘラやってないで自分のペースで頑張って力を付ければ自由に生きれるじゃん!」なんて思ってしまっていた、というか今でも思うけど、2018年は「まあ、でも辛いもんな」となんか心から許せる1年でした。

僕もなかなかのメンヘラですが、なんとか今日まで生きてこれたのは周りの人が愛してくれて許してくれて認めてくれたからだったよなあって。だから僕もメンヘラを許していこうと。

すべてを受け入れるわけでもメンヘラを推奨するわけでもないし、変わろうと思っている人の力になれるとも思っていないけど、ある種の美しさみたいなものを感じるのも事実だから、それは称えたいなと。

そういう観点でも、受け入れられることがとても多くなったなあと思う。

開業:物足りなさと確実に前に進めている充実感

開業:物足りなさと確実に前に進めている充実感

なんと言っても2019年は勝負の年です。

思い返してみれば毎年勝負の年だったような気もするし、そうであるべきのような気もします。

それでも、今年が勝負の年だと言いたくなるのはハンバーガー屋をOPENするからでしょう。

2018年はハンバーガー屋のOPENのための準備期間となる大切な1年だったと思いますが、本当に大切に1年間を過ごせたのだろうか。

蒲田で共同経営予定の友人である北見と2人で住んでいる、家賃8万5千円の安アパートが開業に向けた生活の舞台となる。

ただ、二人で住んでいるけれど意外なことにあまり思い出に残るような出来事はないなあ。

これまでも永福町では美穂ちゃん、幕張ではあゆ姉、吉祥寺では鈴木君、カナダではカズキやありさ、サンディ、中野ではリナやミカ、オーストラリアでは多くの国の人達と、そして東南アジアではSHOKIさんと旅をしたりと、まあ、彼女なんかも含めれば数え切れないほどの人と共同生活をしてきたけど、何か記憶に残るワンシーンみたいなものがあって、北見に関して言えば高校からの付き合いだしそういうものが沢山あるような気がしてたけど、共同生活が始まって1年半経つ今思い返してみても、そんなこともないような。

まあ、こういうのは終わってみた時に何か意外なものが思い浮かんだりするものなんだろう。

それこそ、バルコニーで鍋をしたり、友人たちを呼んでの試食会なんかも未来の僕にとっては素敵な思い出になって、それがあたかも未来の僕が飲み込まれている現実よりもずっと素敵な何かに思えて引き返したくなったりするんだろう。

生活が始まったころは掃除も全然しないし、二人で決めたことも出来ないし「これまでどうやって生きてきたんだよ…」と十年来の友人ながら驚くこともあったけど、それは僕を大きく成長させてくれたなあと思う。そして、彼もしっかり成長している。

そういう意味でも、2018年は色々なものを受け入れられるようになった1年間だったような気がする。

今の生活に対する満足感の中で目的を見失う

どれだけハンバーガー屋の開業に向けてモチベーション高く生活できたか、リソースを割けたかと考えると、予想していたよりもずっと酷いものだった。

春先には自分自身が何をやりたかったのかが分からなくなるほどだった。

正直に言って今の生活に十分満足しているし、ハンバーガー屋開業後もWEBの仕事は柱の一つとして今後もかかわっていくが、今現在成長している自分が面白いし、まだまだWEB業界で身に着けたい経験は無限にある。

そんな状況でも、十分な年収を得ることが出来て、正社員としてもそれなりの企業でそれなりのポジションで働ける条件がある中で、どうしてわざわざ稼ぐのが難しい飲食業なんてやりたいのかという葛藤のようなものがあった。

でも、断じてハンバーガー屋をやりたくないというわけではない。

これまでの自分のキャリアは全てハンバーガー屋を意識したうえで選んできたつもりなので、簡単に捨てれるわけでもない。

自分の生活の質なんてものは簡単に超えていくような、僕の求めている目的が確かにあった。

ただ、現状の生活を捨ててでもリスクを負うだけの「目的」が見いだせなくなってしまっていた時期だった。

このままこの業界でもう1-2年はフリーランスで足りないものを埋めて、しっかりとプラスアルファの力を付けた後に、また自分が共感できる面白い会社で安定した生活を送るキャリアを間違いだとは思っていない。

ただ、それでも挑戦したい気持ちがあって、ぼんやりした部分は多いけど昔の自分が思い描いた未来を切り開いていきたいと望んでいる。

これからの時間は、その「目的」を冷静に見つめ直す時間が必要なんだと思う。

満足できる速度でなくても確実に前には進んでいる

週に一回のミーティングや、友人と会えば基本的にはその話になり色々な可能性を見出すことは出来たけどそんな悠長なことを言っている時期でもないよなあと。

それでも夏からは隔週でハンバーガーの試食会を開催して、毎回自宅に6-10名を招待して多くの人にハンバーガーを食べてもらったり、冬には試作品を食べてもらってデータでフィードバックを管理するようになったりと確実に前には進んでいる。

もう、OPENしても問題はないだろう。それなりのお店に出来るだけの自信はある。

一昨日のミーティングでも北見と話したが、あとは自信と根拠をどれだけ確実なものにしていけるか。(個人としては前述の「目的」を見つめ直す)

それはとても難しいもので正確な測り方など存在しないし、準備が不安だとか自信に確証が無いだなんて言っていてもそんなものはいつまでたっても100%にはならない。

とは言え、確実にまだやれることはあってそれだけはしっかり準備したい

今年はもっと開業に向けての時間を作るようにしよう思っているが、今の生活で気持ちだけで実行することは確実じゃないと思うので、実現できていなかった去年を振り返り、時間のバランスを意識していきたい。

これは部下を管理するうえで意識してきたことだが、気持ちは大事だけどそれ以上にもっと頑張るための環境を整備することが大事だと思う。

そういう意味でも行動できていなかった去年の自分をしっかり受け入れて、今年はコントロール出来るようにする。

気持ちだけでなく、冷静に問題点を解決していくことこそが開業後にも一番重要なことなのだと思う。

最後に(中二病的な振り返り)

僕は去年の末に30歳になった。

強くなければ何も守れない、何も実現できないと追われるように前進を望んでいた20代前半の頃に比べて、20代後半は気楽という身軽というか心のどこかに安らかなスポットを作りながら社会の中でステップアップしているなあと感じる。

勿論、その日々は自分の思い通りではなかったし、そもそもそこまで細かくキャリアや生活を計算してきたわけではない。

でも、今までだったら、もっとやれた!なんでやれなかった!こんなんでいいのか!と思って一年を終えていたし、来年はもっと頑張らなきゃ!こうやったらいいんじゃないか!と、ポジティブながらも反省ばかりだったように感じる。

今年も反省ばかりなんだけど、それでもしっかり前に進めていることを認めてあげたいなという気持ちのほうが強い。

どこかで自分を許せるというか、確かに目標から計算すればもっと頑張るべきだったし満足いくものではないけれど、確実に成長して悪くない状況に持ってこれているなと思える。

ここら辺が難しいところで、あんまり自分を認めすぎるというか、こんなもんだと受け入れすぎても大きな絵は描けなくなってしまうと思うので、志は高くしながらも現実の自分(生活やら性格やら)を受け入れながら、出来ること出来ないことを切り分けて静かな心で判断していければと思う。

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KKK

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代表中二病社会学会
WEB制作・マーケティングの仕事と並行し、東京都大田区蒲田で「KAKUMEI Burger&Cafe」という中二病感全開の店名のグルメバーガー屋をやってます。