中学生が中二病になれなくなった時代

Home » 日常 » 流山おおたかの森駅が個人的に住みたい街ランキング1位

流山おおたかの森駅が個人的に住みたい街ランキング1位

流山おおたかの森駅が個人的に住みたい街ランキング1位

流山おおたかの森駅が個人的に住みたい街ランキング1位

先月に離婚をし、台風の影響もあり憂鬱で退屈な週末を過ごしていた僕は、突如「流山おおたかの森」に行く衝動に駆られた。

「流山おおたかの森」なんて聞いても大抵の人はピンとこないだろう。

何か有名スポットやイベントがあるわけでもなく、千葉にでも住んでいない限りは名前を聞くことの無い駅だと思う。

ただ、僕にっては大学時代4年間を過ごした思い出の街で、なんとなくだけど大切な何かを思い出しに冒険に出るような気持ちであった。

新聞屋の寮で暮らし、新聞配達で生計を立てながら大学生活を謳歌した街。

訪れるのは大学を卒業して以来6年ぶり。

なんだかとても素敵な街だったことを覚えている。

今回はそんな「流山おおたかの森」の素晴らしさ…というか僕の思い出を書き綴っていく。

ちなみに、僕は結構な引っ越し好きで、高校卒業まで「横浜」で育ち、大学を卒業してからは、住みたい街ランキングで毎回上位に選ばれる「吉祥寺」を始め、「中野」や「永福町」「幕張」などで暮らし、世界の住みたい街ランキングで毎回1位に輝く「メルボルン」や「トロント」など海外の街でも生活をしていた。(ここ数年は住みたくない東京の街ランキングで上位に選ばれる「蒲田」を中心に引っ越しを繰り返しているのだけど)

それでも、いつか家を買うなら「流山おおたかの森かな」なんて思っている。

都心へのアクセス

都心へのアクセス

「流山おおたかの森」からアクセスの良い主要駅といえば秋葉原。

つくばエキスプレスに乗ればたったの27分で行けてしまう!(と当時は思っていたけど、よくよく考えるとそんな近くはない…)

しかも、片道620円は今でも滅茶苦茶高いと感じてしまいます…。

当時、メイド喫茶に週3くらいで通い、彼女もメイド喫茶で働いていたので秋葉原へ一本で行けるのはとても助かったとも言えるかもしれないし、東京の中心部のアクセスが秋葉原くらいしかなかったために秋葉原に染まってしまったといえるかもしれない…。

流山おおたかの森S・C

流山おおたかの森S・C

流山おおたかの森駅と言えば、なんといっても「流山おおたかの森S・C」という大型ショッピングセンター。

徒歩5分くらいのところに住んでいたし、流山おおたかの森駅に直結しているため通り過ぎることは何度もあったが、ほとんど記憶がない。

住んでいたころは大学生だったこともありショッピングセンター=かっこ悪いというイメージだったし、お金もなかったし、バイク移動が基本だったので、ほとんど買い物をしたこともなく映画館くらいしか行かなかったけど、久しぶりにぶらぶらしてみたらとても充実していて、もし家族と流山に住んでいたら、近場で休日をのんびり過ごせるし、とてもありがたいだろうなーと感じた。(…もういないんだけれども!!)

ちなみに「流山おおたかの森S・C」の冬のイルミネーションはかなり気合が入っていて、とても美しかったことを覚えている。

大人になると、彼女や奥さんと表参道やら六本木やらのイルミネーションを見に行ったりもするが、

「いや、おおたかの森のほうが良かったよ!!!」

と言いたくなってしまうことが何度もあった。

なんだかモヤモヤした時や、女の子との予定がキャンセルされて心を痛めながらやり過ごす夜には映画館でレイトショーを観て過ごした。

自分の住んでいる駅に大きな映画館があるというのはとても嬉しいことだと思う。

なんとなく思い出の場所をめぐる…流山おおたかの駅から豊四季駅まで

さて、久しぶりの「流山おおたかの森S・C」を一通り見てまわった後は、思い出の場所を眺めながら豊四季駅まで歩くことにした。(流山おおたかの駅から豊四季駅は東武野田線で隣の駅)

流山おおたかの森近くのauショップ

まずは、駅近くのauショップ。

とてもかわいいお姉さんが働いていた。

僕は今でもそのお姉さんにもらった名刺を財布に入れているし(気持ち悪いのは自覚しているけれども)、顔だってなんとなくだけど思い出せる。とても好みのお姉さんできっと今出会っても惚れてしまう自信がある。笑

お姉さん目当てでよく通っていたことを思い出すと、本当にヤバイ客だったなと思うけど、まあ青春ということで許してもらいたい。

今だったら、話しかけたりもできるんだろうけど、当時の僕はそんなこと出来なかったなあ、なんてもどかしさも感じてしまう。

まあ、やっぱりそれも青春か。

外観は何も変わっておらず、近所の家も大きな変化はなかった。

その後、住んでいたアパートに行ってみた。

外観は何も変わっておらず、近所の家も大きな変化はなかった。

僕の住んでいた頃は、新聞屋の寮としても何部屋か会社が借りていたので、カブが沢山停めてあったけど、家の前を通り過ぎた時は一台も停まっていなかったなあ。

焼肉みっちゃん

あとは新聞屋の所長や先輩がたまにご馳走してくれた焼肉みっちゃんも変化なし。

毎日ガソリンを入れていたセルフのスタンド

毎日、翌朝の配達に備えて夕刊配達や営業活動などの仕事終わりにガソリンを入れていたセルフのスタンド。

まあ、ここも変化なし。

そして、4年間働いていた毎日新聞の配達所。閉まっていたけれど外観は特に変化はなさそうだった。

4年間働いていた毎日新聞の配達所

300日連勤のこともあったし、朝の2時に起きて7時まで新聞配達をして、大学に行き、夕方は夕刊を配ってから営業活動や集金などで帰りは21時を過ぎることもあった。特に、雨の日の配達や古紙の回収、チラシが大量の正月の配達は辛かった…。

そして帰宅して5時間後にはまた朝刊の配達。

その5時間で睡眠をとるのはもちろん、他にも家事をやったり、彼女との時間を過ごしたり、大学の課題をやったり…。

非常に辛い4年間だったことを思い出す…。

けど、大学の学費を稼ぐため、自分の生活を守るため、税金を納めるため、そして青臭い信念なり、子供っぽい意地を貫くためにひたすら汗を流し続けた毎日を思い出すと、今でも吐きそうになるけれども、とても美しい時期だったと思う。

あのころと比べると今の生活なんて言うのはとても楽で余裕ばかりのように感じ、また頑張ろうと思えた。

大学最後の年に所長が夜逃げして、会社名義で借りていた所長の家をみんなで掃除したことを思い出すと笑えてきたりもした。

最後に豊四季駅(東武野田線)前のコンビ二。

豊四季駅(東武野田線)前のコンビ二

仕事終わりに中国人の先輩たち(陳さん、孫君)と飯を食う時はいつもここのイートインスペースでカップラーメンを食べていた。

ここも全然変わっていなかった。

そんな感じで、思い出に触れながら台風の中をぶらぶらして豊四季駅から電車に乗り東京に戻った。

都市開発計画事業で変化の最中だったのかもしれない

2005年(平成17年)8月24日に流山おおたかの森駅ができて以来、街はショッピングセンターの誕生を始め、駅の近くにマンションの建設が行われるなど大きな変化をしたのだと思う。

僕が住み始めたのは2007年-2011年だったので、今思えば都市開発計画事業のなか街が大きく変わる最中だったのかもしれないが、あまりそういった印象は残っていない。

ショッピングモールも、駅近くの家族層向けのマンションも完成していたと思うし、2010年あたりにコメダコーヒーが新しく出来て行列ができていたことくらいしか住んでいる期間の大きなイベントごとは記憶にない。

そして今回6年ぶりに訪れたにも関わらず、やはり大きな変化はなかった…。(マックが出来ていたくらい?もともとあったっけ?)

大型事業として新しい駅が出来て、駅直結の商業施設や、近くにマンションが立ち並んでいても、そこから少し離れれば大して変わらないのは田舎の良さなのかもしれない。

https://madcity.jp/20160725_civic_pride/

なんでもない街が誰かとの時間の積み重ねで住みたい街になっていく

住みたい街の作り方

久しぶりに大学時代に住んでいた街をまわってみて、大きな変化を感じなかった。

今でも悪夢のように、新聞の配達中にガソリンが切れて店長のケータイに電話していたことや、配達順を間違えてしまう夢を見ることがあるからかもしれない。

でも同時に…朝起きて、好きだったあの子が横で眠っていること。

喧嘩して、帰ってしまった彼女を流山おおたかの森駅まで走って追いかけたこと。

卒業してからしばらくは、そんな夢を見ることもあった。

辛いことも多かったけど、同時に幸せなことも数えきれないくらいあった。

思い出補正のせいだろうけど、世界でいちばん住みやすい街「メルボルン」よりも、日本で一番人気の街「吉祥寺」よりも、僕にとっては素敵な街だった。

アクセスがいいとは言えないし、やはり田舎でお店も少ないし、唯一の癒しだった映画館だって、それなりの規模の街に住んでいればいくらでもある。

きっと、住んでいた街を思い出すとき、利便性やブランドなんかより、どんな生活をしてどんな思い出を作れるかが重要なんだろう。

とても大変だったけど、一人暮らしを通して自立し始めた街で、多くの人から学び、愛され、恋をし、友情を育んで、成長した街だった。

必死に新聞配達をしている僕も、馬鹿みたいに慌てて女の子を追いかけた僕も、幸せを噛みしめた僕も、無限の未来を思い描いた僕も、6年経った今もこの街にいてくれた。そして、あの頃の僕が今の僕をバイクで抜き去っていったように感じた。

寝不足だし、新聞を荷台に沢山乗せているからバランスも悪いし、髪もぼさぼさなんだけど、大好きな音楽を聴きながら必死に生きているあの頃の僕が、のんびり歩いている今の僕なんて簡単に抜き去っていく。

その顔はとても嬉しそうにも見えるし、真っ直ぐ前だけ見ているようにも見えるし、不安でたまらないようにも見える。

だから、今の僕は、もうしばらく東京で頑張ろう。

そして、いつかはまた、この街に住めたらなと思う。

ああ、それと…

街の節々から漂ってくる、あの頃の日々を思い出すと、自分がどうして離婚することになったのかを少しだけど理解出来たような気がした。

The following two tabs change content below.
KKK

KKK

代表中二病社会学会
WEB制作・マーケティングの仕事と並行し、東京都大田区蒲田で「KAKUMEI Burger&Cafe」という中二病感全開の店名のグルメバーガー屋をやってます。