中学生が中二病になれなくなった時代

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友人が夢を諦める時期なのかもしれない。それは中二病が大人なるということなのか。

友人が夢を諦める時期なのかもしれない。それは中二病を卒業して大人になるということなのか。

友人が夢を諦める時期なのかもしれない。それは中二病を卒業して大人になるということなのか。

友人の青春が静かに終わろうとしているような予感がする。

本当に映画を見ているような感覚で、純粋無垢な少年が己の現実を知って青い夢が崩れ落ちていく様をこの一年見ていたような感覚。

僕はそれをとても悲しいことだと思いながらも、誰かの夢が終わる瞬間を横で見ることができたことはある種の芸術作品に直に触れることができたような感覚もあり、冷酷かもしれないがとても嬉しく思ってしまったりもしている。

彼と僕とは高校時代の同級生で、二年に一回くらいは二人で旅行をするほどの親友。

一緒に東北まで自転車で旅をしたり、鈍行列車を乗り継いで北海道まで行ったこともあった。

僕は大学生の頃からハンバーガー屋を始めたい、そしてそのお店を世界中で展開したいと思っていて、大学時代は飲食店でバイトをしたり、ホテルで接客を学んだりして過ごした。

大学卒業後はカナダで一年間生活をしハンバーガーを食べ歩いたり、自分で作ったハンバーガーを販売したり、イベントを開いたりしていたこともあった。

そこで飲食店でウェブをもっと活用出来るのではないかと思い、帰国後はウェブを学びウェブ系の会社で働き、ある程度求めていたスキルを身に付けた後は再びオーストラリアに渡り、食文化の進んだオーストラリアの中でも特に前衛的なメルボルンのお店で修業をしたり、オーストラリアでビジネスをするための文化を学んだ。

2年ほど前に帰国して、再びウェブ業界で働きながらマーケティングや販促支援の会社で働き、管理職としてマネジメントや収支管理を学べたと思う。色々大変なこともあったし、まだまだ未熟だが学びたかったことをある程度は学べたとは思うし、環境に甘え始めていたので先月退職し、現在はハンバーガー屋のオープンの準備をしながらフリーランスでウェブディレクターとして生活している。

彼は僕が夢に向かって人生を歩んでいる姿を見ながら「かっこいい」と思ってくれていたようだ。

それが今回の物語の終焉の大きなカギになる。

もちろん、僕自身は常に目標に向けてストイックに生きてきたわけではない。

大学卒業後の7年間で何回ニート期間があったのか。そのたびにヒモのような生活をしながらのんびりと過ごしてきた。

それでも、正直なところ思っていたよりはいろいろと得ることができたと思うし、多くの人が「かっこいい」と言ってくれる感覚はわかる。

別に何かを成し遂げたわけでもないし、自分のこれまで努力が必死だっただなんて口が裂けても言えないが、高校生の頃の僕が、他人として今の僕を見れば正しく憧れの対象だ。

ダラダラしているくせに常にその先に目標があって、生活の中に意図がある。

口では夢を語りながらも生活が伴わない人が多くいる世の中では、それなりにまともに見えるのだろう。

自分自身が誰よりも自分の堕落した生活を知っているわけだが、他人が表面的に見れば夢に向かって頑張っている青年と映るくらいにはやってきたのだろう。それはまだ僕が夢を追っている最中だからこそのある種のボーナスステージ的なところがあるのだけど。

彼についてはプライベートな面もあるので、具体的には書かないが自分とは全然違う道を10年間歩んできた。

専門学校を卒業して、普通に日本で生活をしてきた。(普通とは何なのかはわからないが)

同時に常に、自分自身に悶々としていたようだし、刹那的で現状に不満を持ちやすく、大切にするべきものを手放してしまう悲しい癖があった。

そんな僕らはもう29歳。今年30歳になる。

一年前ぐらいだろうか、居酒屋で飲みながらそろそろお店を始めるという話をしていた。

彼は、一緒にやりたいと言ってくれて、僕は多少の驚きもありながら何となくこういう流れになることは昔から感じていたし、僕自身も一緒に面白いことが出来ればいいと思っていたので同意した。

そんなわけで、オープンに向けての1年間を節約や認識を擦り合わせるためにも一緒に住むことになった。

生活の中で意識の差を感じることは多々あったし、それを問題視もしていたがある意味で僕は初めからそれを分かっていた。だって彼の脆さや不安定さを10年間見てきたのだから。

何か問題が生じたり、彼がどこかで限界を感じることがあっても僕はそれに向き合うことで成長していけるし、単純に友人だからこそ、その終焉を見ていたいという欲がどこかにあったのかもしれない。もちろん、一緒に輝ければ最高だと今でも思っているんだけど。

でも、世の中はそんなに簡単でもなければ、自分の望んだとおりに行くことなんてまずなかった。

ハンバーガー屋に向けて一歩目を踏み出す時、彼は具体的な何かを掴みたかったわけでも、どこかに行きたかったわけでもなくて、ただ「自分にも何か出来る」と思っていて、これまでそれがなんなのか分からなかったから、やってみようと思っただけなんだろう。

そして、高校の同級生でかっこよく見えた僕は近い存在の憧れ的なところがあったのだと思う。

こいつが動くのなら、俺も今こそ輝く時だ!!と、いう感じで。

僕のようになりたいと言ってくれて、それはありがたいことでもあるんだけど嬉しくはなかった。

僕は誰かにリスペクトされるよりも誰かをリスペクトしていたいというか、それぞれが違った個性があってそれを誠実に伸ばしているような人と認め合っていたいから。

それが僕の求める関係だけど、同時にそう言ってくれる存在を一人づつ大切にしていくことも重要だと思っていた。

でも、その対象を雲の上のような存在だと捉えているうちは人は幸せなんだと思う。

一緒に住んだり、一緒に何かを掴みに行くときにその感覚だけでは、あまりにも脆い。

漫画のキャラクターや接する機会のない著名人に対して「かっこいいなあ」という感覚を持つだけなら自分を傷つけることは、滅多にない。触れなくていいのだから。

けど、身近な人間に対して「こうなりたい!」と気負いすぎるのは危険なところがある。近づけば近づくほど現実を知ることになるし、それが相手への幻想が強ければ失望になるかも知れないし、現実的に距離感を図ってしまったら自分自身の才能なり生き方の否定にも繋がる。

だから僕は自分自身が具体的に何を求めていてどうなりたいのか。それを明確にすることが大切だと思っていた。

それがなければそもそも認識を擦り合わせるというレベルの話ではない。

ビジネスをするうえでも現段階で自分が何を求めているのかを理解していくことは、将来の絵を描くうえで必要だと感じているし、単純に一人の友人として自分が何を求めているのかを知らず生き、そしてそのことに気づかずに「何かできるはず!」と苦しんでいる姿をただ見ているのは気が引けた。

彼が自分の求めるものを明確にするために、この半年間、僕なりに寄り添って一緒に考えてみたり、真剣にアドバイスをしたりしてみたけど、多分彼の中でそれを掴みかけるところにも届かなかったのだと思う。

簡単な話だと思う。人間が大きく変わろうと思った時、長い時間をかけて少しづつ理想の自分に近づいていくのだろう。

もしかしたら衝撃的な何かに出会ったときは一瞬かもしれないが、そんなことはほとんどの人の人生で起こりえないもので、起こったとしてもそれはなりたい自分になるのではなく、その出来事の影響で変わってしまったに過ぎないのだろう。

自分にもなにか凄いことができる!かっこよく生きたい!輝きたい!

そんな中二病的な発想を現実にすることは簡単なことではなくて、誠実な努力が必要だ。

無理をせずに自分のペースで少しづつ、成長していくしかない。

そして、幸せになりたい!自分に自信を持ちたい!友達と笑って過ごしたい!

なんて、一般的で簡単に見えることだって、多分簡単なことではない。

みんな歳を取って、体力は衰えるし、考え方は凝り固まり始めるし、それぞれの生活は固まり始め、家庭を持ち始める人も増えてきた。

僕らの周りにはぼんやりと何かを期待して自由に過ごしているように見える人が多いように感じるが、大抵の人たちはそんな時期を、これからの5年もしないうちに終えていくだろう。

価値観やライフスタイルが多様化し、各々が自分らしい生活を求める現在においても、それとは別に、やはり落ち着く時期というものはあり、自分の父親世代が20代で通ったポイントを僕らの世代は30代で迎えるだけなのではないかなと思うことが増えてきた。

多様化しているように見えて、基本的には人生のターニングポイントが少し後ろにずれただけなのだと思う。

そして今年30歳で彼のような理想を持ち続けてこれたことは多分、恐ろしいことだし、凄いことでもある。

僕は本物の中二病として生きてきた彼が怖いし、同時に魅力的にも映っていた。

でも、それも近いうちに終わりを迎えるのかもしれない。

そして、そのきっかけが僕になるのかもしれない。

まだ、何かを具体的に話し合ったわけでもないが、彼から漂う雰囲気のなかに近いうちに何かが変わる予感がする。

音楽で駆け上がっていこうとバンドに夢中になっていた友人が、ギターを捨てて工場で働き始める前も同じ顔をしていた。

彼の淡い夢が終わるのかもしれないし、現実を受け止めて飛躍するのかもしれないし、まだまださまよい続けるのかもしれないし、僕にはまだわからない。

一緒に輝ければ最高だけど、嫌になるほど現実は立ちはだかる。

本当に輝くためにはそれらを上手に見ないふりをしたり、受け止めて進んでいくしかない。

僕はただ、一人の友人として彼のすべてを受け止めることにしようと思う。

その時は、出来ることならば芸術作品としてではなく一人の友人として向き合えたらと願う。

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KKK

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代表中二病社会学会
WEB制作・マーケティングの仕事と並行し、東京都大田区蒲田で「KAKUMEI Burger&Cafe」という中二病感全開の店名のグルメバーガー屋をやってます。